2019-02-27 第198回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第2号
どうしても恨みが残ったり利己主義になる。それが積もり積もると、最近よく言われるポピュリズムという、本来の社会の在り方とは反するような方向に国や社会を導いてしまう、そういう欠点も個人にはあるということでございます。 その個人が集まった市民社会、これは国とも企業とも違う組織として、良心を代表するものということで、これから更に重要になっていくと思います。
どうしても恨みが残ったり利己主義になる。それが積もり積もると、最近よく言われるポピュリズムという、本来の社会の在り方とは反するような方向に国や社会を導いてしまう、そういう欠点も個人にはあるということでございます。 その個人が集まった市民社会、これは国とも企業とも違う組織として、良心を代表するものということで、これから更に重要になっていくと思います。
これは、利己主義、エゴイズムとも、全体主義とも異なり、みずから生き方を選択し、その行動の責任を引き受ける、そのような自律した人格を持つ個人から成る公正な社会のあり方を指し示しております。 基本的人権とは、このような個人にとって不可欠な、そして公正な社会の維持発展にとって重要な権利、自由の総体です。
こういうふうな利己主義というか何というか、これでもう三回目だ。一回目の、与党でもない野党でもないと言ったら、私たちの質問を切る。二つ目には、柿沢未途さんが、テレビ中継というのは相手のことを考えて時間を守るけれども、七分間もオーバーして、私どもおおさか維新の会の時間がテレビ中継がなくなる。今回もまた同じように、自分たちだけ質問して終わる。
しかし、残念ながら、個人の尊厳が利己主義や刹那主義に堕してしまう、ゆとり教育が緩み教育となってしまったり、教育の荒廃が叫ばれるようになり、十年前に第一次安倍政権において教育基本法を改正をさせていただきました。
この安保法案に反対をしてデモをしている大学生を利己主義と批判をした武藤貴也代議士が自民党を離党されました。なぜでしょうか。
○藤末健三君 いや、彼は衆議院の安保の委員のメンバーでもあるし、それで、この撤回をするという話についてどういう声があるかというと、多分これは大学生の方のコメントは、戦争に行きたくないと考えていることは利己主義なのでしょうか、安倍総理大臣は法案について戦争しないためのものだと説明しているが、このような投稿があるとやはり戦争をするための法案なのではないかと思ってしまいますとか、また、これも大学四年生の方
田中長官の最後のところに、 自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であつて、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
、先ほど西参考人がお配りした資料を見てみますと、一番最後の方に、当時の田中耕太郎長官の補足意見が出ていまして、大変におもしろいなと思ったのは、 自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係がある ということも言っておられますし、 自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義
現在では、若者のコミュニケーション能力の低下や利己主義になる人がふえていると指摘されて長いんですけれども、本当に学習者、学生の幸福を望むのであれば、IQを上げようとするよりは、他人に共感できること、他人の心の痛みを理解できること、他人と協力的で建設的な人間関係を築く能力を上げていくことが先決ではないかとも言われています。私も同感なんですね。
私は、そういう方は、多分、個人主義と利己主義を履き違えていらっしゃるんじゃないかというふうに思っております。 ぜひ、この場でとは申し上げませんけれども、やはり法務大臣として、そして自民党の政治家として、このことにはいろいろな形で向き合い、そして御自身のお考えや信念を発信していただきたいというふうに思います。
個人の尊厳、個人主義が利己主義と曲解されて、家族や共同体を破壊しているという主張です。これは、特定の価値観や家族観を持つ側が、自分と違う考えや政策を一部の政党やイデオロギーと関連付け、非難するということも多々見受けられます。これらは法や制度の見直しを阻むだけでなく、何の関係もない当事者を無用に傷つけています。
個人主義は様々な意味で理解され、時には自分の利益しか考えない利己主義的な生き方という意味で使われることさえありますけれども、ここでは、社会と社会を構成する個々人の関係、つまり全体と部分の関係について、価値の根源は社会の側ではなく個人の側に置かれるべきだという意味で使っております。目的と手段という言葉で言い換えれば、個人こそが目的であり、社会はその手段と理解すべきだという考え方であります。
これはやはり、例えば個人の尊厳、あるいは個人の基本的人権の価値を余りにもある意味で尊重する余り、今の日本の社会が、自分勝手、自分中心、いわば究極のある意味での個人主義というんでしょうか、利己主義、こういったものが非常に広がっている現象。
なぜならば、あのとき、結局あのころの大国、米英仏などが全部利己主義に立ち至ったわけですね。高関税を張りましたよね。それからまた、為替ダンピングをやりましたよね。その結果が第二次大戦になったわけです。 そういうことからいうと、一番大事なことは何かといえば、世界が協調してこれを乗り越えていかなければならないということだと思うんです。それがマクロ経済の最大の問題だと思います。
一つは利己主義、もう一つはせつな主義。つまり、自分さえよければいい、今さえよければいいという、この二つの思想と行動に集約をされてくるのではないかなと思っております。その是正、克服というのは、まさに文部科学省、教育の力にまつわけであります。
また、近年の利己主義の蔓延や自己愛、自己中心主義の増殖と、これは国家社会という公とのきずなや連帯感の希薄化など、そういったものの様々な懸念から、適正なやっぱり判断ができるのかといったことでございます。
そして、若い人たちがかなり利己主義に走った、また、かなりせつな主義にも走ったような感じがします。 そして、そこで出てきた時代の寵児というのは、名前を言うのもちょっと申しわけないので、Mファンド、そしてHエモンですね。名前を言うのはやめましょう。
と考えますと、それにより、団塊時代からそのジュニアへと、成人はすべて個人主義、利己主義に凝り固まった人格形成がされてしまったのじゃないかなとも考えられます。感謝の気持ちや道徳心を失ってしまったのではないか、すべてが自己の欲望と目標のために個人のわがままを担ってきているようにも感じます。
現在の社会を見たときに、もうこれはだれも認めているんですけれども、余りにも、本当の意味の個人主義ならいいんですけれども、民主主義の原理は個人主義です、それはいいんですけれども、そうじゃなくて、他を排するような利己主義がずっと進んできてしまった。要するに、公共性の喪失ということであります。この問題が、私は、いじめとか不登校、その教育課題のところへ大きく突き刺さっているというのが一点であります。
幸福というのは、決して個人主義的あるいは利己主義的なものではなくて、むしろ利他的なところにまさに幸福があるのだろうというふうに私は理解しております。
がしかし、個人の利益や権利のみを主張する利己主義というものは、公教育において完全に否定すべきです。そしてまた、自由には責任が、権利には義務が伴うといった、生きる上での基本をしっかりと教えていかねばならないと思っています。常に公の利益を尊重できる人に子供たちを育てていかなければならない、私は考えます。